ある暑い夏の日の珈琲修行中、
若い女性のお客様がやってきた。
珈琲を頼んで、
ノートとペンを出して、
珈琲文化について勉強されているらしい。
とても変わったことに興味を持つ人もいるのだなぁと思ったのだが、
私も珈琲屋の独特な空気感に魅了されて珈琲修行をしているため、
何だか親近感がわいてどこかで彼女の思考の力になれないかと話していた。
私も海外のカフェで働いた経験があるから、
その国の文化と人とカフェのスタイルは繋がってるという事をそれなりに肌で感じている。
もちろん、日本も同じである。
日本の文化と人の生活スタイルと珈琲の位置付けと喫茶店。
これら全てが繫がって、日本にある喫茶店が存在する。
今の日本にはカフェの様なスタイルと、
喫茶店の様なスタイルが混在しているが、
それも現在の人の生き方とマッチした結果なのである。
どちらも必要でどちらも決して無くならないのだろう。
いずれは開業を目指す珈琲修行者は、
どんなお店にしようかと、
日々思考を巡らせるのだが、
このお客様との会話でこちらも考えるきっかけとなった。
コロナで人とのコミュニケーションが希薄になっている今日この頃だが、
こんな良きせぬコミュニケーションは、人ひとりからは生み出せない新たな思考をお互いに得ることができるのだなぁ。
こんな場こそが珈琲屋なのかもしれないと、
そんなことを思いながらまた明日も珈琲修行が続いていくのだと、
ふと物思いにふける
そんな一日だった。